ぽけかる倶楽部 ガイドレポート

ガイドレポート トップへ
江戸時代の面影を再現して、370年ぶりに登場!徳川将軍家軍船 『御座船・安宅丸クルーズ』 (旧芝離宮恩賜庭園ご案内)  ガイドレポート

4/30 御座船安宅丸クルーズ

2011年5月 6日
みなさん、こんにちは。ガイドの青柳です。今日は「御座船安宅丸クルーズ」に行ってきました。

以前もガイドレポートで御座船を紹介させていただきましたが、今日は、その御座船に乗船できるということで、とても楽しみです。

a0506-1.jpg

御座船に乗り、甲板部に立ってみると、想像していたものより高く感じました。

a0506-2.jpg

内部は「御座の間」と、

a0506-3.jpg

「貴賓の間」があり、寛いでクルージングを楽しめます(貴賓の間に関しては、別途料金がかかります)。

a0506-4.jpg

さて、このイベントで最初に行くのが、旧芝離宮庭園です。
お隣の浜離宮に比べて敷地面積はないのですが、風情があってとても良い庭園だと思いました。

芝離宮庭園は浜離宮庭園と同じように、埋め立てて作られた土地になります。
江戸時代は敷地の回りには水路があったそうです。ここに上屋敷を構えていたのは、大久保忠朝さんという方です。
元々、大久保家は徳川家に仕えており、忠朝さんの祖父にあたる大久保忠隣さんは、三方ヶ原の戦い、姉川の戦い、小牧・長久手の戦い等、徳川家康公の戦に従軍し、武功派として地位を築いていきました。徳川家康公が江戸幕府を開府した際には、奉行職に任命されたほど、将軍から篤い信任を受けました。

ところが、開府10年くらい経った頃、かねてより政敵であった本多正信、正純親子ら吏僚派と対立、結果的にその政争に敗れ、居城であった小田原城を改易され、その後、大久保家は改易、移封を繰り返すことになります。

大久保家に転機が訪れたのは、1643年、当時、11歳だった忠朝さんが、西の丸小姓として、まだ幼かった4代将軍家綱公に仕えることになりました。将軍家とのパイプを持った大久保家は、それ以降、息を吹き替えし、1677年、忠朝さんは家綱公より老中職に任じられ、晴れて63年振りに幕閣の復帰を果たします。

そして、1678年...

この芝の地に家綱公から、上屋敷を拝領します。この大久保家上屋敷が現在の芝離宮庭園へと引き継がれていきます。

a0506-5.jpg

現在の芝離宮庭園はとても長閑な雰囲気です。そんな中にも、大久保忠朝さんのドラマが隠されていたことに芝離宮庭園の歴史の深さを感じます。