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青柳 竜馬 |
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みなさん、こんにちは。ガイドの青柳です。

笹乃雪は元禄4年(1691)創業の老舗のお食事処です。
初代・玉屋忠兵衛さんが上野の宮様(111代・後西天皇)のお供をして、京より江戸に移ったことがきっかけで、江戸で初めて絹ごし豆富を作ったことに由来しています。
その時、宮様が、
「笹の上に積もりし雪の如き美しさよ」
と称賛されました。

そのお言葉が「笹乃雪」の屋号となります。
笹乃雪は元禄期より続く老舗ゆえに、その歴史はとても深いものがあります。
赤穂浪士の討ち入り後、浪士達は四ヶ所の大名屋敷へお預けになりましたが、そのうち、大石内蔵助以下17人が細川家に引き取られることになりました。
その際、笹乃雪 の豆富が細川家に届けられたと言われています。
これは、上野輪王寺の宮、公弁法親王の心遣いによるものだそうです。
又、この心遣いの裏には、玉屋忠兵衛さんの娘である、お静さんが細川家お預けの赤穂浪士・磯貝十郎左衛門さんに心を寄せていたことも関係していると言われています。
2人の最初の出会いは、ある時、お静さんが雪道で足をとられ、滑りそうになったのを、十郎左衛門さんが助けたことが始まりだとか...
その後、十郎左衛門さんは、俳人・宝井其角さんに連れられ笹乃雪 に来店、2人は再会することになります。
しかし、十郎左衛門さんは、その後もたびたび来店するも、名前も身分も明かしませんでした。
そんな十郎左衛門さんに、強く想いを寄せていたお静さんが、切腹をする前に、その想いを伝えるために、豆富を送ったのでしょう。

笹乃雪では江戸時代から続く下足番の方々によって、江戸文化を今に伝えています。
この下足番という職業には、江戸の町の特徴が密接に繋がっています。
江戸時代、町には火事が多く、260年間続いた中で、大火事が90回もあったと言われています。
そのため、当時の人々は火事に備え、自分の資産を守るために建物を簡素にし、何かあったらすぐに持ち出せるように、雪駄や草履に金をかけ損害を最小限にしました。
この理由から、江戸に住む人々にとって、履き物は財産でもあり、その掛け金は多大なものであったと言われています。
その額は、今の外国製の高級ブランドメーカーの靴よりも、何倍も高かったものでした。
従って、履き物を脱いで上がる江戸の店では、履き物の管理に非常に気を遣い、お客さんが帰る時、高価な履き物を紛失したり、他のお客さんと取り間違えたりすることがないよう、各店に下足番を置くようになったのです。
さらに、江戸の店に下足番を置くのには、もう一つ理由があります。
江戸は地方から来た人々が住んでおり、中には、地元でないのを良いことに、食い逃げが多発するという問題がありました。
そのような人々は、お金がないからではなく、「悪戯」として、食い逃げをしていたのだとか...
そのため、下足番が履き物の管理をし、お勘定が済んだお客さんに履き物を渡すようにしていたというのも、江戸の店で下足番が重宝された理由になります。
笹乃雪の下足番の方々は、来店をするとき、いつも温かく迎えてくれます。
現在、下足番を雇っているお店は、ほとんど残っていないのですが、笹乃雪では、今も江戸文化を感じることができます。
最後に、笹乃雪では、「とうふ」を「豆腐」とは書かず、「豆富」と書いています。
9代目当主の奥村多吉氏が、料理店で「腐る」という字は相応しくないと考え、「豆富」と記すようになったからです。