ぽけかる倶楽部 ガイドレポート

ガイドレポート トップへ
いよいよ最終章! 坂の上の雲 ~今こそ知っとこ!日本の歴史~   ガイドレポート

11/5 間もなくスタート!「坂の上の雲」

2011年11月16日
みなさん、こんにちは。ガイドの青柳です。

a1116-3.jpg横須賀造船所小栗上野介忠順さんの発案により着工し、横須賀の発展の礎を築きました。

嘉永6年(1853)、ペリー艦隊が江戸湾に現れ、日本がその力の前に屈服すると、不平等条約の調印を余儀なくさせられます。
万延元年(1860)、日本側はその条約の比准のために、使節団をアメリカに派遣します。
そのとき、勝海舟さんが咸臨丸に乗り太平洋を横断したのは、有名なお話ですが、それと並走していた米国軍艦ポウハタン号に、小栗上野介忠順さんが乗り、サンフランシスコまで渡りました。
その後、使節団はアメリカ大陸横断し、ワシントンへ...

そこで、小栗上野介さんが目にしたのは、ワシントン造船所。
その規模の大きさ、生産力の高さに、小栗上野介さんは、日本と世界との差を痛感します。

帰国後、小栗上野介さんは、ワシントンで見た大規模な造船所が、日本にも必要であることを幕府に主張しました。
小栗上野介さんはフランスの技術援助を受け、造船所建設を確定させました。

当初、造船所は横浜に設立する計画もありましたが、小栗上野介さんが目をつけたのは横浜ではなく、横須賀
横須賀の地形というのが、造船所を設置するにあたり、好条件を持っていたからです。

その条件とは...
①湾口が北に面して波が穏やか。
②入江の形がよく、水深が約20メートル。
③土の性質が関東ロームのような粘土質の土丹岩の岩盤、ドック建造に適している。
④南対岸の山によって風を防ぐ。

この立地を見たフランス人達は、母国のツーロン港に似た地形であると推奨しました。

a1116-4.jpg

小栗上野介さんは、フランスから「フランソワ・ウォレンス・ヴェルニー」さんを招聘すると、造船所の建設に尽力します。

ところで、小栗上野介さんは、造船所設立を幕府に提案するにあたり、「土蔵付きの売家」に喩えています。

「同方会報告」によると...
「幕府の運命に限りがあるとも、日本の運命には限りがない。幕府のしたことが長く日本のためとなって徳川のした仕事が成功したのだと後に言われれば徳川家の名誉ではないか。国の利益ではないか」

「同じ売据(家具付きの売家)にしても土蔵付き売据の方がよい。あとは野となれ山となれと言って退散するのはよろしくない」

...と語ったと言われています。
小栗上野介さんは、日本の将来のために、横須賀造船所という土蔵を残したと言えます。

明治維新を見る前に、その生涯を閉ざしてしまいましたが、小栗上野介さんが残した土蔵を、約40年後、大変感謝された方がおりました。

その人物とは、「東郷平八郎」さんです。

日露戦争後、小栗家のご遺族である、小栗貞雄さんと、息子の又一さんを自邸に招き、次のように感謝の気持ちを表したと言われています。

「日本海海戦において完全な勝利を収めることができたのは、軍事上の勝因の第一に、小栗上野介殿が横須賀造船所を建設しておいてくれたことが、どれほど役立ったか計り知れません」
写真(ヴェルニー公園)

現在、横須賀港に面しているヴェルニー公園には、横須賀発展の功績を讃え、小栗上野介さんとヴェルニーさんの胸像が設置されています。

a1116-5.jpg