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<バスツアー>東京・邸宅5景めぐりと目黒雅叙園百段階段特別展  ガイドレポート

11/30 大正の名邸 旧朝倉家住宅

2011年12月 7日
みなさん、こんにちは。ガイドの青柳です。

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旧朝倉家住宅は大正8年(1919)に米穀商、朝倉虎治郎氏によって、猿楽町の南西斜面を利用して建てられました。

朝倉家は明治2年に精米業を始めます。
朝倉虎治郎さんの時代には白米商としては、東京一の商家になりました。

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旧朝倉家住宅の敷地に入ると、まず車庫があります。
市街地化が急速に進む当時の東京の周縁部で自動車は必須の道具となります。

≪車庫の特徴≫

①屋根を支える洋風の構造

②コンクリートの土間

③両妻の内側の波形銅板

これらは自動車が普及し始めた頃の車庫の仕様になります。

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江戸時代までの日本の建築では、戸は障子戸で敷居の上を滑らせていました。

それが明治時代になると、障子戸からガラス戸へ変化していきます。
ガラス戸は障子戸よりも重たいので、ガラス戸に車輪を付けて、敷居の代わりに鉄のレールの上を戸が行き来するようになりました。

それに対して、朝倉家のガラス戸は鉄ではなく、堅木のレールを用いました。
これは鉄錆による汚損がなく、一つ一つのレールも短かったので、楽に交換が可能だったそうです。
ところが、この木製レールはあまり普及しなかったようです。

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旧朝倉家住宅の庭園崖線という特徴を持っています。
崖線とは、斜面を利用して作庭された庭園を指しています。
斜面に植えられた木々の演出効果は、独特の景観を造り出します。
特に、邸宅の中から見た庭園の風景と、崖線の下から見上げた風景はそれぞれ異なった味を出しています。
この崖線を持つ庭園は他に、国分寺の殿ヶ谷庭園などがあります。
かつては尾根沿いに三田用水が流れ、崖線の下には水田や畑が広がり、西には富士山がよく見えたそうです。
敷地内の各所で富士山を見ることができました。
旧朝倉家住宅は、見晴らしの良い高台に建物や庭を作って、その景観や田園風景が楽しめるようになっていたと言われています。

a1207-5.jpg庭園の奥に、鉄筋コンクリート造り、切妻2階建ての土蔵があります。
住居との連結部分以外の壁面には、火災の時に濡れた藁を巻き付けるための鉤が施されており、鉤の周りの漆喰が丘状に盛り上がっています。

旧朝倉家住宅は、大正時代の特徴的な邸宅として、現在、国の重要文化財に指定されています。