ぽけかる倶楽部 ガイドレポート
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青柳 竜馬 |
クールな雰囲気、ハーフのような装い。その見た目とは裏腹に人情が厚く、生粋の埼玉っ子。
歴史に詳しく、野球に強い。まさに大人になった少年のような方ですが、ワンパクではありませんのでご安心を。 社員 黒木
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みなさん、こんにちは。ガイドの青柳です。
今月から大江戸歴史散策が始まり、3コースとも順調に開催されているようです。
...しかし、その大江戸歴史散策で、ちょっと気になる話を耳にしました...
それは、江戸時代からやってきた、私にそっくりのお医者さんが、谷中のイベントをご案内をしているとのこと...
どうやら、その人は長崎にいるオランダ人と、長崎小町と言われていた芸者さんとの間に生まれたとか...
そして、長崎で蘭学を学んだ後、江戸にやってきて蘭方医として開業していたみたいです。
数奇な人生を歩んでいる方だなぁと思いましたが、一度も私はその人にお会いしたことがありません。
ぽけかる倶楽部の社員の中には、その蘭方医が谷中をご案内しているのを見た...という人もいるようなのですが、何故か、私の前だけには現れてはくれません。
そこで、私にそっくりの、そのお医者さんを見てみたいと思う好奇心から、今日は江戸時代の医師という職業について、ご紹介しようと思います。
江戸時代、医師の方々は名字帯刀を許可されていました。
また、仮に犯罪を犯してしまい捕まったとしても、一般の囚人の方々が入る牢屋には収監されることはなく、「揚屋」と呼ばれる、藩士や御家人、神官といった方々が入る部屋に入れられたそうです。
では、江戸時代の医師はどのような風貌だったのでしょうか?
ここで、杉田玄白さんなどの医師を思い浮かべてみてください...
江戸時代、主に漢方医の人達は、剃髪にするのが一般的なスタイルでした。
この理由は不明ですが、一説によると、それは戦国時代まで遡るようです。
戦国時代、戦場にいる者は戦闘員という扱いになります。
それに対し、従軍している医師は世俗の者ではない僧侶のように剃髪にすることで、非戦闘員であることを示しました。
それが名残として、平和になった江戸時代も形として剃髪にするようになったそうです。
また、医師が剃髪にしていたのは、江戸時代の身分制度にも関係しているとも言われています。
世俗の者→相手の地位に応じて、それに見合った地位の者でないと対面不可...
剃髪をした者→世俗の者でなくなるので、身分に関係なく対面可...
従って、医師の方々は身分に関係なく治療をしなければならないので、支障が出ないように剃髪にしたそうです。
ところが、谷中を案内している、その人は、医師であるにもかかわらず、剃髪にせず、髷を結っているとか...
これでは、先ほどの説と矛盾してしまいますが、剃髪にしていたのはあくまでも漢方医...
そのお医者さんは蘭方医らしいと聞きました。
どうやら蘭方医の方は必ずしも剃髪にはしていなかったそうです。
さらに、漢方医の中にも剃髪にしていなかった者がいたみたいです。
そういう医師は、まだ職業として一本立ちしておらず、万が一、失業してしまった場合、剃髪にしていると、新しい仕事を探すにあたって、少々不都合が生じてきますが、髷を揺っていれば、次の仕事も探しやすくなります。
...ということは、その人は一人前の医者ではなく、医者は医者でもヤブ医者...?
益々、謎は深まるばかりです...
そこで、先日、私は日本橋でのイベントが終わった後、そのお医者さんが現れそうな場所で、一つ心当たりがあったので、そこに言ってみました。
新日本橋駅です。

江戸時代、この場所は「長崎屋」という薬を売るお店がありました。
説明板によると...
「江戸時代、ここは長崎屋という薬種屋があり、長崎に駐在したオランダ商館長の江戸登城、将軍拝謁の際の定宿になりました。将軍拝謁は諸外国のうち、鎖国政策のため外国貿易を独占していたオランダが、幕府に謝意を表するために献上品を携えて行った行事でした。江戸出府は江戸初期から毎年一回行われましたが、長崎からの随行の人々は、商館長の他、通訳、学者などが賑やかに行列して江戸に来ました。しかし、経費のことなどで、江戸中期からは四年に一回となっています。 商館長に随行したオランダ人の医者の中には、ツンベルクやシーボルトなどの一流の医学者がいたので、蘭学に興味を持つ桂川甫周や平賀源内はじめ日本人の医者、蘭学者が訪問し、長崎以外における外国文化の交流の場として、あるいは、先進的な外国の知識を吸収していた場として有名になりました。
鎖国下における数少ない西洋文明との交流の場として貴重であり、区民史跡に登録されています」
...とのこと。
オランダ商館長に随行してきたオランダ人医師に会うために、たくさんの医師や学者達が長崎屋に訪れたということは、もしかしたら、その中に、私そっくりのお医者さんがいたかもしれません。
そして、その人が現代にタイムスリップしてきたら、懐かしくなって、長崎屋があった新日本橋駅界隈に現れるのではないかと思い、しばらく待っていました。
...しかし、残念ながら、そのお医者さんは待てど暮らせど現れませんでした。
きっと、江戸時代と様変わりしてしまった街の景観によって、この場所に長崎屋があったことに気付いていないのかもしれません...
結局、私はそのお医者さんと会うことができませんでした。
そうしたら、私も谷中のイベントに参加をして、直接会いに行けば一番早いと思ったのですが、その日はどうしても外せない用事があって行くことができません...
...でも、私がどんなに見てみたいと思っても、絶対にその人には会えないような気がします...
何故だか理由はわかりませんが、そんな気がします。
そこで、みなさんに一つお願いがございます...
もし、このガイドレポートを読んだ方で、谷中のイベントに参加していただいくという方がいらっしゃいましたら、青柳が、よろしく言っていたと、その私そっくりのお医者さんにお伝えください。
よろしくお願いいたします...
それでは、今日はここで失礼いたします...
...Tot ziens
今月から大江戸歴史散策が始まり、3コースとも順調に開催されているようです。
...しかし、その大江戸歴史散策で、ちょっと気になる話を耳にしました...
それは、江戸時代からやってきた、私にそっくりのお医者さんが、谷中のイベントをご案内をしているとのこと...どうやら、その人は長崎にいるオランダ人と、長崎小町と言われていた芸者さんとの間に生まれたとか...
そして、長崎で蘭学を学んだ後、江戸にやってきて蘭方医として開業していたみたいです。
数奇な人生を歩んでいる方だなぁと思いましたが、一度も私はその人にお会いしたことがありません。
ぽけかる倶楽部の社員の中には、その蘭方医が谷中をご案内しているのを見た...という人もいるようなのですが、何故か、私の前だけには現れてはくれません。
そこで、私にそっくりの、そのお医者さんを見てみたいと思う好奇心から、今日は江戸時代の医師という職業について、ご紹介しようと思います。
江戸時代、医師の方々は名字帯刀を許可されていました。
また、仮に犯罪を犯してしまい捕まったとしても、一般の囚人の方々が入る牢屋には収監されることはなく、「揚屋」と呼ばれる、藩士や御家人、神官といった方々が入る部屋に入れられたそうです。
では、江戸時代の医師はどのような風貌だったのでしょうか?
ここで、杉田玄白さんなどの医師を思い浮かべてみてください...
江戸時代、主に漢方医の人達は、剃髪にするのが一般的なスタイルでした。
この理由は不明ですが、一説によると、それは戦国時代まで遡るようです。
戦国時代、戦場にいる者は戦闘員という扱いになります。
それに対し、従軍している医師は世俗の者ではない僧侶のように剃髪にすることで、非戦闘員であることを示しました。
それが名残として、平和になった江戸時代も形として剃髪にするようになったそうです。
また、医師が剃髪にしていたのは、江戸時代の身分制度にも関係しているとも言われています。
世俗の者→相手の地位に応じて、それに見合った地位の者でないと対面不可...
剃髪をした者→世俗の者でなくなるので、身分に関係なく対面可...
従って、医師の方々は身分に関係なく治療をしなければならないので、支障が出ないように剃髪にしたそうです。
ところが、谷中を案内している、その人は、医師であるにもかかわらず、剃髪にせず、髷を結っているとか...
これでは、先ほどの説と矛盾してしまいますが、剃髪にしていたのはあくまでも漢方医...
そのお医者さんは蘭方医らしいと聞きました。
どうやら蘭方医の方は必ずしも剃髪にはしていなかったそうです。
さらに、漢方医の中にも剃髪にしていなかった者がいたみたいです。
そういう医師は、まだ職業として一本立ちしておらず、万が一、失業してしまった場合、剃髪にしていると、新しい仕事を探すにあたって、少々不都合が生じてきますが、髷を揺っていれば、次の仕事も探しやすくなります。
...ということは、その人は一人前の医者ではなく、医者は医者でもヤブ医者...?
益々、謎は深まるばかりです...
そこで、先日、私は日本橋でのイベントが終わった後、そのお医者さんが現れそうな場所で、一つ心当たりがあったので、そこに言ってみました。新日本橋駅です。

江戸時代、この場所は「長崎屋」という薬を売るお店がありました。
説明板によると...
「江戸時代、ここは長崎屋という薬種屋があり、長崎に駐在したオランダ商館長の江戸登城、将軍拝謁の際の定宿になりました。将軍拝謁は諸外国のうち、鎖国政策のため外国貿易を独占していたオランダが、幕府に謝意を表するために献上品を携えて行った行事でした。江戸出府は江戸初期から毎年一回行われましたが、長崎からの随行の人々は、商館長の他、通訳、学者などが賑やかに行列して江戸に来ました。しかし、経費のことなどで、江戸中期からは四年に一回となっています。 商館長に随行したオランダ人の医者の中には、ツンベルクやシーボルトなどの一流の医学者がいたので、蘭学に興味を持つ桂川甫周や平賀源内はじめ日本人の医者、蘭学者が訪問し、長崎以外における外国文化の交流の場として、あるいは、先進的な外国の知識を吸収していた場として有名になりました。
鎖国下における数少ない西洋文明との交流の場として貴重であり、区民史跡に登録されています」
...とのこと。
オランダ商館長に随行してきたオランダ人医師に会うために、たくさんの医師や学者達が長崎屋に訪れたということは、もしかしたら、その中に、私そっくりのお医者さんがいたかもしれません。
そして、その人が現代にタイムスリップしてきたら、懐かしくなって、長崎屋があった新日本橋駅界隈に現れるのではないかと思い、しばらく待っていました。
...しかし、残念ながら、そのお医者さんは待てど暮らせど現れませんでした。
きっと、江戸時代と様変わりしてしまった街の景観によって、この場所に長崎屋があったことに気付いていないのかもしれません...
結局、私はそのお医者さんと会うことができませんでした。
そうしたら、私も谷中のイベントに参加をして、直接会いに行けば一番早いと思ったのですが、その日はどうしても外せない用事があって行くことができません...
...でも、私がどんなに見てみたいと思っても、絶対にその人には会えないような気がします...
何故だか理由はわかりませんが、そんな気がします。
そこで、みなさんに一つお願いがございます...
もし、このガイドレポートを読んだ方で、谷中のイベントに参加していただいくという方がいらっしゃいましたら、青柳が、よろしく言っていたと、その私そっくりのお医者さんにお伝えください。
よろしくお願いいたします...
それでは、今日はここで失礼いたします...
...Tot ziens