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青柳 竜馬 |
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みなさん、こんにちは。ガイドの青柳です。

羽二重団子の歴史を辿っていくと、文政2年(1819)に、※芋坂の下、※音無川の畔に、植木屋だった初代澤野庄五郎さんが「藤の木茶屋」という庭付きの茶屋を開業したことに始まります。
※芋坂:この付近で自然薯(山芋)が採れたことに由来。JRの敷設により、今は芋坂は分断され、高架橋になっているが、昔は道灌山から直接、芋坂を下り、羽二重団子のお店に行くことができた。
※音無川:江戸時代に開削された灌漑用水路。道灌山の崖下を通る。石神井川から分水され、王子大堰を経由し、田端、日暮里方面へ。日暮里からは、三ノ輪を通り、山谷堀、思川に分かれ、隅田川に注いでいた。音無川沿いは低地で、農業が盛ん、ここで採れた農作物は江戸市中へ運ばれた。谷中生姜や三河島菜など...
羽二重団子本店の前には、王子街道という道が通っていました。
王子街道を通る旅人のために、団子を振る舞ったところ、とても評判が良く、茶屋から団子専門店へと発展していきました。
羽二重団子の名前の由来は、「きめ細やかで、羽二重のようだ」と、そのお団子が称賛されたことから付けられたと言われています。
また、「藤の木茶屋」の名前の由来は、お店の前に藤棚があったことに因んでいます。
お団子は元々、中国渡来の野趣ある菓子で、日本には江戸時代に入り普及されました。
元禄年間(1688~1704)頃から名物団子が現れるようになっていきます。
幕末になると、上野戦争で敗走した彰義隊士達が、芋坂を駈け下り、羽二重団子に自分達の武器を打ち捨て、そのまま野良着に着替え、一般人の振りをしながら、遠く日光山の方に向かいました。
明治時代になり、羽二重団子は引き続き、多くの方々に愛されました。
著名な文人の方々からも強い支持を受け、※正岡子規、夏目漱石、泉鏡花、田山花袋(敬称略)などの作品にも登場します。
※登場作品
◯正岡子規:「道灌山」、「仰臥漫録」、「寒山落木巻三」
◯夏目漱石:「吾輩は猫である」
◯泉鏡花:「松の葉」
◯田山花袋:「東京の近郊」
例えば、「吾輩は猫である」の中では、「芋坂の団子」という表記で登場し、多々良君がご主人様を誘うシーンは、その記述を読むだけでも、羽二重団子への愛情が強く伝わってきます。
他の文学作品を読んでみても、羽二重団子とその周辺の様子がリアルに描かれています。
開発によって、芋坂も音無川も、その原型は失われてしまいましたが、羽二重団子や、様々な文学作品を通すことによって、在りし日のこの界隈の風景が今も生きていると思いました。