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| 史跡・街歩き | 坂の上の雲 正岡子規のゆかりの地を訪ねて |
坂の上の雲 正岡子規のゆかりの地を訪ねて ガイドレポート
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3月21日 坂の上の雲 正岡子規ゆかりの地を訪ねて ガイドレポート
2010年03月26日
みなさん、こんにちはガイドの青柳です。
今回は「坂の上の雲 正岡子規ゆかりの地を訪ねて」に行ってまいりました。
この日は前日の春のような陽気と比べると、
ちょっと肌寒さの感じる朝となりました。
上野公園内は春のお花見シーズンが間近ということもあり、
園内はその準備が着々と進められていました。
上野のお花見というと、
現在では場所取りに人が殺到するほど、
毎年大変な賑わいを見せますが、
上野のお花見は江戸時代から盛んだったそうです。
上野公園がまだ寛永寺だったころ、
境内の文殊堂(上野戦争により焼失)の付近には、
たくさんのお花見客で賑わったと言われています。
今も昔もお花見のメッカである上野公園のメインストリートの脇に
「五條天神社」があります。
この五條天神社の歴史は大変古く、
1890年前、日本武尊(ヤマトタケルミコト)が東夷征伐に、
この上野忍が岡をお通りになった際に、
薬祖神(大己貴命と少彦名命)の大神にご加護をいただいたことに感謝され、
この地にお祀りなったそうです。
現在は、毎月10日には医薬祭という祭礼を行われます。
そして、この五條天神社の鳥居の前に、
正岡子規さんの俳句の碑があります。
みちのくへ涼みに行くや下駄はいて
夏になると、私もよくこの俳句のようなことを考えます。
この俳句は正岡子規さんが明治26年7月19日に、
仙台に向かって旅をしたとき、
東北本線の上野停車場で詠んだそうです。
正岡子規さんの仙台の旅は、
松尾芭蕉さんの「奥の細道」を意識した旅だと言われております。
松尾芭蕉さんの時代はほぼ全て徒歩で旅をしていたのが、
正岡子規さんの時代は鉄道が敷かれ、
私は気軽に下駄を履いて涼みに行くのですよ、
という意味があるそうです。
正岡子規さんは松尾芭蕉さんを高く評価をされていたそうです。
古今集以来主流となった「掛詞」や「縁語」といった、
言葉遊びの要素ではなく、
現実をありのままに描くという「写実」という点で、
松尾芭蕉さんの作風に重きを置いていたと言われています。
この「写実」が正岡子規さんの創作スタイルであったそうです。
この「坂の上の雲 正岡子規ゆかりの地を訪ねて」では、
様々な俳句を正岡子規さんにゆかりのある上野、根岸を訪ねて行きたいと思います。
正岡子規さんの世界を一緒に感じていきましょう。
今回は「坂の上の雲 正岡子規ゆかりの地を訪ねて」に行ってまいりました。
この日は前日の春のような陽気と比べると、
ちょっと肌寒さの感じる朝となりました。
上野公園内は春のお花見シーズンが間近ということもあり、
園内はその準備が着々と進められていました。
上野のお花見というと、
現在では場所取りに人が殺到するほど、
毎年大変な賑わいを見せますが、
上野のお花見は江戸時代から盛んだったそうです。
上野公園がまだ寛永寺だったころ、
境内の文殊堂(上野戦争により焼失)の付近には、
たくさんのお花見客で賑わったと言われています。
今も昔もお花見のメッカである上野公園のメインストリートの脇に
「五條天神社」があります。
この五條天神社の歴史は大変古く、
1890年前、日本武尊(ヤマトタケルミコト)が東夷征伐に、
この上野忍が岡をお通りになった際に、
薬祖神(大己貴命と少彦名命)の大神にご加護をいただいたことに感謝され、
この地にお祀りなったそうです。
現在は、毎月10日には医薬祭という祭礼を行われます。
そして、この五條天神社の鳥居の前に、
正岡子規さんの俳句の碑があります。
みちのくへ涼みに行くや下駄はいて
夏になると、私もよくこの俳句のようなことを考えます。
この俳句は正岡子規さんが明治26年7月19日に、
仙台に向かって旅をしたとき、
東北本線の上野停車場で詠んだそうです。
正岡子規さんの仙台の旅は、
松尾芭蕉さんの「奥の細道」を意識した旅だと言われております。
松尾芭蕉さんの時代はほぼ全て徒歩で旅をしていたのが、
正岡子規さんの時代は鉄道が敷かれ、
私は気軽に下駄を履いて涼みに行くのですよ、
という意味があるそうです。
正岡子規さんは松尾芭蕉さんを高く評価をされていたそうです。
古今集以来主流となった「掛詞」や「縁語」といった、
言葉遊びの要素ではなく、
現実をありのままに描くという「写実」という点で、
松尾芭蕉さんの作風に重きを置いていたと言われています。
この「写実」が正岡子規さんの創作スタイルであったそうです。
この「坂の上の雲 正岡子規ゆかりの地を訪ねて」では、
様々な俳句を正岡子規さんにゆかりのある上野、根岸を訪ねて行きたいと思います。
正岡子規さんの世界を一緒に感じていきましょう。
坂の上の雲 正岡子規のゆかりの地を訪ねてのぽけかる倶楽部ガイド
青柳 竜馬クールな雰囲気、ハーフのような装い。その見た目とは裏腹に人情が厚く、生粋の埼玉っ子。 歴史に詳しく、野球に強い。まさに大人になった少年のような方ですが、ワンパクではありませんのでご安心を。 社員 黒木
3月18日(木) 坂の上の雲 正岡子規のゆかりの地を訪ねて ガイドレポート
2010年03月26日
みなさん、こんにちは。ガイドの青柳です。
今回は、「坂の上の雲 正岡子規のゆかりの地を訪ねて」に
行ってまいりました。
天気予報では冷え込むのではないかと心配されましたが、
イベントが始まったら晴れ間も出て、
気持の良い散策日和になりました。
もう間もなくお花見の時期になるので、
上野公園にはたくさんの提灯がすでに仕込まれていて、
路上では大道芸を演じている芸人さん達もいて、
早くもお祭りムードといったような感じです。
この風景を正岡子規さんなら、
どのような俳句にして読むのかなと思いながら、
上野公園内を散策しました。
そんな賑やかな上野公園の隣に、
このイベントの主人公の正岡子規さんが住んでいた「子規庵」があります。
住所で言いますと「台東区根岸」、
この「根岸」に正岡子規さんは1892年(25歳)頃より
暮らし始めたと言われています。
お隣の上野公園とは対照的に、
子規庵のある根岸はとても静かな場所です。
そして、この根岸界隈を歩いていると、
街のいたる所に正岡子規さんの俳句を見つけることができます。
そのような街並みを見ていると、
100年以上経った今でも、
この根岸に正岡子規さんの魂が生き続けているような気がします。
子規庵から徒歩5分くらいのところに、
JR鴬谷駅があります。
江戸時代、この辺には鴬がたくさんいて鴬の名所になっていたと言われています。
「鴬谷」という地名も、ここが鴬の名所だったことに由来しているそうです。
きっとこの辺りではたくさんの鴬が鳴いていたのだと思います。
正岡子規さんもまた、この鴬の鳴くこの場所を大変愛していて、
鴬が登場する句をたくさん残しています。
雀より鴬多き根岸かな
この俳句は現在、根岸小学校の石碑に残されています。
この俳句を読むと当時の情景が甦ってくるようです。
現在の鴬谷は都市化が進み、
昔のように鴬の鳴き声が聞くことができなくなってしまったそうです。
いつか鴬谷周辺の環境が整備され、
正岡子規さんの頃のように鴬の鳴き声が聞けるようになると良いと思います。

そんなことを考えながら、鴬谷駅のプラットホームに立つと、
どこからか鴬の鳴き声が聞こえてきました。
ふと本物の鴬なのかと思うほど、結構リアルな鳴き声でした。
「鴬谷駅」ということで、鴬の鳴き声をホームで流すというサービスなのですが、
何か微笑ましいですね。
今回は、「坂の上の雲 正岡子規のゆかりの地を訪ねて」に
行ってまいりました。
天気予報では冷え込むのではないかと心配されましたが、
イベントが始まったら晴れ間も出て、
気持の良い散策日和になりました。
もう間もなくお花見の時期になるので、
上野公園にはたくさんの提灯がすでに仕込まれていて、
路上では大道芸を演じている芸人さん達もいて、
早くもお祭りムードといったような感じです。
この風景を正岡子規さんなら、
どのような俳句にして読むのかなと思いながら、
上野公園内を散策しました。
そんな賑やかな上野公園の隣に、
このイベントの主人公の正岡子規さんが住んでいた「子規庵」があります。
住所で言いますと「台東区根岸」、
この「根岸」に正岡子規さんは1892年(25歳)頃より
暮らし始めたと言われています。
お隣の上野公園とは対照的に、
子規庵のある根岸はとても静かな場所です。
そして、この根岸界隈を歩いていると、
街のいたる所に正岡子規さんの俳句を見つけることができます。
そのような街並みを見ていると、
100年以上経った今でも、
この根岸に正岡子規さんの魂が生き続けているような気がします。
子規庵から徒歩5分くらいのところに、
JR鴬谷駅があります。
江戸時代、この辺には鴬がたくさんいて鴬の名所になっていたと言われています。
「鴬谷」という地名も、ここが鴬の名所だったことに由来しているそうです。
きっとこの辺りではたくさんの鴬が鳴いていたのだと思います。
正岡子規さんもまた、この鴬の鳴くこの場所を大変愛していて、
鴬が登場する句をたくさん残しています。
雀より鴬多き根岸かな
この俳句は現在、根岸小学校の石碑に残されています。
この俳句を読むと当時の情景が甦ってくるようです。
現在の鴬谷は都市化が進み、
昔のように鴬の鳴き声が聞くことができなくなってしまったそうです。
いつか鴬谷周辺の環境が整備され、
正岡子規さんの頃のように鴬の鳴き声が聞けるようになると良いと思います。

そんなことを考えながら、鴬谷駅のプラットホームに立つと、
どこからか鴬の鳴き声が聞こえてきました。
ふと本物の鴬なのかと思うほど、結構リアルな鳴き声でした。
「鴬谷駅」ということで、鴬の鳴き声をホームで流すというサービスなのですが、
何か微笑ましいですね。
坂の上の雲 正岡子規のゆかりの地を訪ねてのぽけかる倶楽部ガイド
青柳 竜馬クールな雰囲気、ハーフのような装い。その見た目とは裏腹に人情が厚く、生粋の埼玉っ子。 歴史に詳しく、野球に強い。まさに大人になった少年のような方ですが、ワンパクではありませんのでご安心を。 社員 黒木
坂の上の雲 正岡子規のゆかりの地を訪ねて ガイドレポート②
2010年03月24日
みなさん、こんにちは。ガイドの青柳です。
今回は、「坂の上の雲 正岡子規のゆかりの地を訪ねて」に
行ってまいりました。
天気予報では冷え込むのではないかと心配されましたが、
イベントが始まったら晴れ間も出て、
気持の良い散策日和になりました。
もう間もなくお花見の時期になるので、
上野公園にはたくさんの提灯がすでに仕込まれていて、
路上では大道芸を演じている芸人さん達もいて、
早くもお祭りムードといったような感じです。
この風景を正岡子規さんなら、
どのような俳句にして読むのかなと思いながら、
上野公園内を散策しました。
そんな賑やかな上野公園の隣に、
このイベントの主人公の正岡子規さんが住んでいた「子規庵」があります。
住所で言いますと「台東区根岸」、
この「根岸」に正岡子規さんは1892年(25歳)頃より
暮らし始めたと言われています。
お隣の上野公園とは対照的に、
子規庵のある根岸はとても静かな場所です。
そして、この根岸界隈を歩いていると、
街のいたる所に正岡子規さんの俳句を見つけることができます。
そのような街並みを見ていると、
100年以上経った今でも、
この根岸に正岡子規さんの魂が生き続けているような気がします。
子規庵から徒歩5分くらいのところに、
JR鴬谷駅があります。
江戸時代、この辺には鴬がたくさんいて鴬の名所になっていたと言われています。
「鴬谷」という地名も、ここが鴬の名所だったことに由来しているそうです。
きっとこの辺りではたくさんの鴬が鳴いていたのだと思います。
正岡子規さんもまた、この鴬の鳴くこの場所を大変愛していて、
鴬が登場する句をたくさん残しています。
雀より鴬多き根岸かな
この俳句は現在、根岸小学校の石碑に残されています。
この俳句を読むと当時の情景が甦ってくるようです。
現在の鴬谷は都市化が進み、
昔のように鴬の鳴き声が聞くことができなくなってしまったそうです。
いつか鴬谷周辺の環境が整備され、
正岡子規さんの頃のように鴬の鳴き声が聞けるようになると良いと思います。

そんなことを考えながら、鴬谷駅のプラットホームに立つと、
どこからか鴬の鳴き声が聞こえてきました。
ふと本物の鴬なのかと思うほど、結構リアルな鳴き声でした。
「鴬谷駅」ということで、鴬の鳴き声をホームで流すというサービスなのですが、
何か微笑ましいですね。
今回は、「坂の上の雲 正岡子規のゆかりの地を訪ねて」に
行ってまいりました。
天気予報では冷え込むのではないかと心配されましたが、
イベントが始まったら晴れ間も出て、
気持の良い散策日和になりました。
もう間もなくお花見の時期になるので、
上野公園にはたくさんの提灯がすでに仕込まれていて、
路上では大道芸を演じている芸人さん達もいて、
早くもお祭りムードといったような感じです。
この風景を正岡子規さんなら、
どのような俳句にして読むのかなと思いながら、
上野公園内を散策しました。
そんな賑やかな上野公園の隣に、
このイベントの主人公の正岡子規さんが住んでいた「子規庵」があります。
住所で言いますと「台東区根岸」、
この「根岸」に正岡子規さんは1892年(25歳)頃より
暮らし始めたと言われています。
お隣の上野公園とは対照的に、
子規庵のある根岸はとても静かな場所です。
そして、この根岸界隈を歩いていると、
街のいたる所に正岡子規さんの俳句を見つけることができます。
そのような街並みを見ていると、
100年以上経った今でも、
この根岸に正岡子規さんの魂が生き続けているような気がします。
子規庵から徒歩5分くらいのところに、
JR鴬谷駅があります。
江戸時代、この辺には鴬がたくさんいて鴬の名所になっていたと言われています。
「鴬谷」という地名も、ここが鴬の名所だったことに由来しているそうです。
きっとこの辺りではたくさんの鴬が鳴いていたのだと思います。
正岡子規さんもまた、この鴬の鳴くこの場所を大変愛していて、
鴬が登場する句をたくさん残しています。
雀より鴬多き根岸かな
この俳句は現在、根岸小学校の石碑に残されています。
この俳句を読むと当時の情景が甦ってくるようです。
現在の鴬谷は都市化が進み、
昔のように鴬の鳴き声が聞くことができなくなってしまったそうです。
いつか鴬谷周辺の環境が整備され、
正岡子規さんの頃のように鴬の鳴き声が聞けるようになると良いと思います。

そんなことを考えながら、鴬谷駅のプラットホームに立つと、
どこからか鴬の鳴き声が聞こえてきました。
ふと本物の鴬なのかと思うほど、結構リアルな鳴き声でした。
「鴬谷駅」ということで、鴬の鳴き声をホームで流すというサービスなのですが、
何か微笑ましいですね。
坂の上の雲 正岡子規のゆかりの地を訪ねてのぽけかる倶楽部ガイド
青柳 竜馬クールな雰囲気、ハーフのような装い。その見た目とは裏腹に人情が厚く、生粋の埼玉っ子。 歴史に詳しく、野球に強い。まさに大人になった少年のような方ですが、ワンパクではありませんのでご安心を。 社員 黒木
「坂の上の雲 正岡子規のゆかりの地を訪ねて」ガイドレポート
2010年03月24日
みなさん、こんにちは。ガイドの青柳です。
今回は「坂の上の雲 正岡子規のゆかりの地を訪ねて」に行ってまいりました。
この「正岡子規ゆかりの地を訪ねて」では、
上野公園から出発し、
正岡子規さんが暮らした根岸にある子規庵までご案内するコースです。
そのコースの中には正岡子規さんゆかりのものを始め、
上野公園、上野寛永寺など、幅広くみなさまにお伝えしていくイベントです。
これからの時期、上野公園は桜のシーズンになることもあり、
たくさんのお花見をするお客様で増える場所です。
公園内の桜並木は上野公園の象徴とも言えるのではないかと思います。
私たちがご案内するのは、そういった行楽の中心地とも言える上野の、
まだ、あまり知られていない見どころを、
正岡子規さんのゆかりの地と合わせてご紹介していく内容です。
さて、3月も半ばになり、春のセンバツ高校野球やプロ野球の開幕の時期になりました。
私は自分が育った地域に球団があり、
家から自転車で球場に通えるような場所に住んでいて、
幼い頃からとても野球に親しんできましたので、
この時期が来ると、とてもワクワクします(今でも年間20~30試合くらい観に行きます)。
また、この「坂の上の雲 正岡子規のゆかりの地を訪ねて」のコースの中で、
同じように自分の気持ちをワクワクさせるような場所があるのです。

この「正岡子規記念球場」は2006年に上野恩賜公園130周年を記念して、
この名前がになったそうです。
では、なぜ、ここに正岡子規さんの名前を使うことになったのか?
それは正岡子規さんが東京で学問に励んでいたころ、
この上野公園内で野球を楽しんでいたからであるそうです。
門弟の河東碧梧桐さんや高浜虚子さんも、
元は正岡子規さんと野球仲間で、
野球を通じて親交を深めていったと言われています。
正岡子規さんは東京から野球用具を持ち帰り、
松山に野球を広めたそうです。
そして、正岡子規さんの出身の松山市がある愛媛県は、
野球がとても強い県なのです。
春夏含めた通算勝率は、全国2位、
夏の甲子園だけで言いますと、何と勝率1位・・・
高校野球も毎年欠かさず見るのですが、
愛媛県はいつも上位に入るような印象があります。
この愛媛県の強さは正岡子規さんの存在が大きく影響を与えているのかもしれないですね。
今年のセンバツ高校野球でも愛媛県から1校出場します。
正岡子規さんという力強い存在を宿している愛媛県に注目しようと思っています。
今回は「坂の上の雲 正岡子規のゆかりの地を訪ねて」に行ってまいりました。
この「正岡子規ゆかりの地を訪ねて」では、
上野公園から出発し、
正岡子規さんが暮らした根岸にある子規庵までご案内するコースです。
そのコースの中には正岡子規さんゆかりのものを始め、
上野公園、上野寛永寺など、幅広くみなさまにお伝えしていくイベントです。
これからの時期、上野公園は桜のシーズンになることもあり、
たくさんのお花見をするお客様で増える場所です。
公園内の桜並木は上野公園の象徴とも言えるのではないかと思います。
私たちがご案内するのは、そういった行楽の中心地とも言える上野の、
まだ、あまり知られていない見どころを、
正岡子規さんのゆかりの地と合わせてご紹介していく内容です。
さて、3月も半ばになり、春のセンバツ高校野球やプロ野球の開幕の時期になりました。
私は自分が育った地域に球団があり、
家から自転車で球場に通えるような場所に住んでいて、
幼い頃からとても野球に親しんできましたので、
この時期が来ると、とてもワクワクします(今でも年間20~30試合くらい観に行きます)。
また、この「坂の上の雲 正岡子規のゆかりの地を訪ねて」のコースの中で、
同じように自分の気持ちをワクワクさせるような場所があるのです。

この「正岡子規記念球場」は2006年に上野恩賜公園130周年を記念して、
この名前がになったそうです。
では、なぜ、ここに正岡子規さんの名前を使うことになったのか?
それは正岡子規さんが東京で学問に励んでいたころ、
この上野公園内で野球を楽しんでいたからであるそうです。
門弟の河東碧梧桐さんや高浜虚子さんも、
元は正岡子規さんと野球仲間で、
野球を通じて親交を深めていったと言われています。
正岡子規さんは東京から野球用具を持ち帰り、
松山に野球を広めたそうです。
そして、正岡子規さんの出身の松山市がある愛媛県は、
野球がとても強い県なのです。
春夏含めた通算勝率は、全国2位、
夏の甲子園だけで言いますと、何と勝率1位・・・
高校野球も毎年欠かさず見るのですが、
愛媛県はいつも上位に入るような印象があります。
この愛媛県の強さは正岡子規さんの存在が大きく影響を与えているのかもしれないですね。
今年のセンバツ高校野球でも愛媛県から1校出場します。
正岡子規さんという力強い存在を宿している愛媛県に注目しようと思っています。
坂の上の雲 正岡子規のゆかりの地を訪ねてのぽけかる倶楽部ガイド
青柳 竜馬クールな雰囲気、ハーフのような装い。その見た目とは裏腹に人情が厚く、生粋の埼玉っ子。 歴史に詳しく、野球に強い。まさに大人になった少年のような方ですが、ワンパクではありませんのでご安心を。 社員 黒木
坂の上の雲 正岡子規のゆかりの地を訪ねてのご予約はお電話でも受付可能です。
※「受付終了」の場合もご案内可能なご日程がある場合がございますので、お客様センターへお問い合わせください。
キャンセル・変更については、お客様センターまでお電話にてお問い合わせください。 (キャンセル規約はこちら)
当社の個人情報の取り扱いに関する詳細はこちらの「個人情報保護方針」をご覧ください。
キャンセル・変更については、お客様センターまでお電話にてお問い合わせください。 (キャンセル規約はこちら)
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